『新少林寺/SHAOLIN』 仏の手のひらに。

とんでもない映画を観てしまった。

 

古い映画なのですけれどね
2011年公開作品
『新少林寺/SHAOLIN』

 

 

ダーリンがこういうの好きなので
なにも考えず
ジャッキー・チェンの楽しいアクション映画かと思って。

 

ところが最後のほうに至っては
はらはらと、涙がこぼれるばかり。

 

悲しい?
そうね、ストーリとして悲しかったのと・・・

 

もうひとつは
「ああ、そうなのだ」
っていう感覚。

 

その感覚がやってきて
圧倒された。

 

これ、禅の映画なのね。

 

 

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舞台は20世紀初頭の、辛亥革命の起きた中国です。

 

アクションはド派手。
血もいっぱい。

でも衣装やインテリアはフェティッシュなくらい綺麗。

 

そして暴力や支配はなにも産まないどころか
ひたすらに破壊をもたらすという
因果が巡っていく様がわかりやすくストーリーになっている。

 

 

だから「これ、よくわかる」って感じるの。

 

 

傲慢な将軍(アンディ・ラウ)も
裏切りの悪役(ニコラス・ツェー)も

なにもかもすべて失って・・・

 

狂気の果ての絶望の中で
そして気づく。

 

 

そうそう、そうなんだよね。

ぜーんぶ、ぶっ壊れるようなところまできて
やっと手放すんだ。

 

 

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主役のアンディ・ラウが
最後に
仏像の手のひらの中に

落ちていくシーンがあって
象徴的だなあと。

どうあがいても
最後は愛の中に落ちるのだと。

 

 

「仏、神、悟り、愛・・・」

どういう言い方をしてもいいのですが
わたしたちの源です。

(わたしは愛や神っていう表現が好き♪)

 

 

どう生きても・・・

悪人だろうが善人だろうが
関係なくて

ただ愛の中へ。

 

 

 

 

わたしの人生を思い出しても

人間関係やお金やら
壊滅的(に見える)ようなところに
追いこまれて初めて

 

平和、愛、調和、感謝・・・
そうしたものに圧倒される体験をしている。

 

 

ありがたいことに近頃は
壊滅的の前に
愛に戻れるようになったが。

 

それでもやっぱり
うまくいかないことに直面して
やっと気づくのだ。

 

 

 

そして愛とは(悟りとは)

なにをしようとも
人間社会でいうところのどんな罪をおかそうとも、
愛が離れたことはない。

 

愛に見捨てられることはありえないって
そのことに気づくだけで毎日が変わる。

 

安心の腕にいだかれる。
だから、奪い取る必要など
ほんとはどこにもなくなる。

 

ただ分かちあうだけ。

 

 

ps アマゾンプライムで見られます!

 

 

 


 

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2018-07-24 | Posted in BLOG, SpiritualityNo Comments » 

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