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ホーキング博士で真っ先に思い出す話。厳しい限界を受け入れる奇跡。

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ホーキング博士さようなら。

あなたは世界に影響を与えた偉大なる人。

でもわたし
功績よりもなによりも
ホーキング博士で真っ先に思い出す、思い出したいのが、この話。

ご紹介します。

 


限界を超える

 「ニュー・アース」より一部抜粋 

 エックハルト・トール著  

 吉田利子訳 

 サンマーク出版刊

 

 形は限界を意味する。私たちが地上に生を受けたのは、その限界を経験するためばかりではなく、意識のなかで限界を乗り越えて成長するためでもある。

外的なレベルで乗り越えられる限界もあるが、そのまま抱えて生きることを学ぶしかない限界も人生にはある。そのような限界は内的にしか乗り越えることができない。

誰でも遅かれ早かれそのような限界にぶつかるだろう。そういう限界にぶつかると、人はエゴイスティックな反応の罠に落ちるか(これは激しい不幸を意味する)、あるがままを無条件で受け入れることで内的に乗り越えて優位に立つ。

それが私たちに与えられた課題なのだ。あるがままを意識のなかで受け入れると、人生の垂直軸の次元、深さの次元が開かれる。そしてその垂直軸の次元から何か、無限の価値をもつ何か、そういうことがなければ埋もれたままだったはずの何かがこの世に現れる。

厳しい限界を受け入れた人々のなかには、ヒーラーやスピリチュアルな指導者になる人もいる。また人間の苦しみを減らし、この世に創造的な贈り物をもたらすために、自分を捨てて努力する人もいる。

 

 1970年代後半、私は毎日のように一人、二人の友人と、当時学んでいたケンブリッジ大学大学院のカフェテリアで昼食をとっていた。そのときに近くのテーブルに車椅子の男性がいるのを見かけることがあった。男性は、いつも三、四人の人たちと一緒だった。

あるとき、同じテーブルで向かい合わせになったことがあり、ついその男性をしげしげと見て、ひどく驚いた。彼はほぼ全身が麻痺しているらしかった。

身体には力が入らず、首もがっくりと前に垂れている。付き添いの人たちの一人が食べ物を口に運んでやるのだが、その大半は別の付き添いが男性のあごの下に差し出す小さな皿にこぼれ落ちる。ときおり車椅子の男性がうめき声のようなものを発すると、誰かがその口元に耳を近づけ、なんと彼の言わんとしていることを、他の人に伝えるのである。

 そのあと私は友人に、車椅子の男性が何者か知っているかと尋ねた。「もちろん知っているさ」と彼は答えた。「数学の教授でね、付き添っているのは教え子の院生だよ。身体じゅうで麻痺が進行する運動神経の病気にかかっているんだ。医者は五年もてばいいほうだと言ったらしい。あれ以上つらい運命ってないだろうな。」

 

 数週間後、カフェテリアから出ようとして、その男性が入ってくるのと出会った。電動車椅子を通すためにドアを押さえている私と彼の目が合った。彼の目があまりにも澄んでいるのに、私はびっくりした。そこには不幸のかけらもなかった。私はすぐに、彼は抵抗を完全に放棄していると感じた。彼はありのままをすべて受け入れている。

 

 それから何年もたって、キオスクで新聞を買っているとき、その男性が大手の国際ニュース雑誌の表紙になっているのを見てまたビックリした。彼、スティーヴン・ホーキングは、まだ生きていたばかりでなく、世界で最も有名な理論物理学者になっていたのである。

記事の中には、何年も前に彼の目を見て私が感じたことを裏付ける見事な一文があった。自分の人生について尋ねられて、彼は(音声合成装置の助けを借りて)こう答えたという。

「これ以上、何を望めるだろう」。


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「これ以上、何を望めるだろう」

ホーキング博士のこの生き様。言葉が出ないね。

 

今日ね、公園でお散歩中の黒柴の老犬と出会ったんです。
ゆっくりゆっくりとよろけながら歩く後ろ姿。
ああ、と胸が痛みました。

静かに追い越そうとしたその時、向こうからやってきた元気なメスのワンコ。
よろよろしていた黒柴君はしっかりと立ち止まり、りりしくそちらを向きました。

通りすがりに黒い瞳をのぞきこんでみたら、彼は自分を憐れんでいるような様子などみじんも感じられなかった。

どんなによろけていようと、艶々だった毛もぼさぼさになろうと、なにとも比べずうらやまず、ただ散歩を楽しんでいたのです。

可哀想なんて失礼だった。
そうわかって、安心して黒柴君の長生きと健康を心の中で祈りつつ立ち去りました。

 

エックハルトさんがのぞいたホーキング博士の瞳も、きっとこんな風だったのでしょうね。

 

「これ以上、何を望めるだろう」
そんな日々を積み重ねたいですね。

2018-03-14 | Posted in BLOG, Live 生きるって?No Comments » 

 

地球乗組員♪

「あの人にあって、わたしにはない」

 

いまプロフィールを作り直しているのですが・・・
たびたび浮かび上がってきてわたしを悩ませているのが、この思考です。

 

すぐ人と比べるからなんですけども(バカだねえ・・・)

 

 

今朝眠気覚ましに、コーヒーをすすっていた時にふとお告げ(笑)がありました。

 

「どこまでをチームとして考えるのかどうか、だ」と。

 

なーるほどね。
どこまでチームかね?

 

 

たとえばね・・・

隣りの旦那の稼ぎが良くっても
「ちーっとも関係ないわ。むしろ不快だわ」
などと考えますけれども♪

隣りの旦那一家はもらい物が多くて、高級な食材やギフト券なんかをしょっちゅうおすそ分けされているとしたら?

 

これ、いいですよね。
「どんどん稼いでくれや」って思っちゃう(笑)

 

ま、これは自分に利益がある人たちをチーム扱いしているだけですけれど
そうではなくても。

 

たとえば昨日は3月11日でした。
あちらこちらで東日本大震災への想いを目にしました。

 

 

7年前だってそうだよね。
当事者でないわたしたちも、東北の人たちの無事を心より願いました。

なにもできない悔しさや焦りも感じるくらい、同じチームでした。  

なにかあったときだけではなく、普段から同じチームってことを思い出したいね。        

 

 

今年はこれで♪↓  

 

だから今朝のメッセージの意図としては、どこかにあればいいという感じなのかと。
わたしのところになくても、地球全体ではどこかにある、と。

 

たとえばわたしは豪邸を所有していないし・・・・
美貌をまとっていないけれど・・・
地上にはたくさある♪

 

立派な家を眺めるのも、美人を見るのも好きです。
癒されます(笑)

 

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そもそも(わたし)にないの
(わたし)ってなんだろ?

 

 

こんな経験があるんです。

めっちゃ愛が欲しかった頃。
愛されたかった頃のことです。

 

お気に入りのカフェがありました。

アンティークの家具、あちこちに飾られた珍しいお花たち。
熱々のポットで出される紅茶とていねいにつくられたケーキ。

このお店の隅っこで本を読むのが好きでした。

 

ある日親子3代が来ました。

おばあちゃんはお孫さんに笑いかけます。なんども
可愛くって仕方がないという風情で、あやしています。

 

わたしはベビーカーの後方に座っていたので
おばあちゃんの視線の延長線上というか。
わたしに向かってしゃべりかけているようなちょっとした錯覚を覚えました。

 

おばあちゃんのとろけるような視線が、その時わたしを射抜きました。

 

「ああ、わたしに向けられた愛でなくとも、
こんなにも豊かで気持ちがいいものだな」
と知りました。

 

 

それからも親バカ話が好きです♪

 

孫でも子供でもペットでも・・・
あの嬉しそうなウキウキした表情って、周囲に光を放ってますよね。

 

思い出すなあ。
わざと駅の改札の近くあたりで
柴犬をお座りさせて一休みしていたオジサン。

高校生や親子連れが通りかかっては
「わーー」って黄色い声を上げてた。

わたしはそのオジサンの自慢げな嬉しそうな様子を見るのが好きでした。
ひそかにニタニタしてました。

 

 

そういうのって、いろいろありますよね。

 

仲睦まじい老夫婦なんて見かけた日には
1万円札を拾ったくらいに心がホクホクしちゃうもの!
(たとえが悪い?(*⌒∇⌒*))

 

 

これって
(わたし)の枠が外れている瞬間。
(わたし)を忘れている瞬間。
(わたし)の心配をしていない瞬間。

 

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愛だけじゃないんです。
豊かさもそうなんです。

 

スタバをわたしの書斎と呼んでます。
ホテルラウンジをわたしの応接室として使っています。

もちろんわたしは所有していませんが。

 

空調が整い
いつでもステキな音楽が流れ
季節の花が飾られていたり
程よい喧騒もまたいい。

美味しい飲み物はあるしねえ。
自分で管理しようと思ったら、どんなに大変なことだろう。

 

だから、この世界の豊かさは
わたしのものでもあるわけですわ。

 

 

愛も豊かさも
花の香りのようなもので
誰かだけにつかめるものではないのね♪
と思った今日です。

 

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朝の光の差し込む、わたしの書斎にて♪

 

 

2018-03-12 | Posted in BLOG, 自分ラブNo Comments » 

 

日本を褒める。自分の未来に光を灯す。

震災から7年の今日、お散歩していてね。
軒先のモクレンの花や、ベランダの洗濯物をながめながら思ったの。

もっとこの国の良いところを褒めようって。

 

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うちのマンションも含め、東京はウサギ小屋のような小さな住まいに、ちまちまと人が暮らしていて、住宅事情がいいとはとても言えないけれど。

なんかちっさいところに、人がいっしょうけんめい暮らしている様子が今日は愛おしかった。

 

「みんな幸せでありますように」って、気づいたら祈ってた。

 
足りないことをあげたらキリがないんだよね。
それは世界のどの国でも同じ。
カンペキはない。

 

 

だからって政治家に文句言い、社会にマスコミにと不満をぶつけ。
そんなことをしても震災の復興にはならない。

 

間違っていることは主張する。
でも同じくらい日本をほめよう。

わたしはそうしようと、今日思ったの。

 
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観光客の行き交う道の端で眠るホームレスの親子もいないし・・・

歩いているだけで大量に押しかけてくるモノ売りもいない・・・

シャワーから茶色の水が出てきたりしないし・・・

ドラッグ中毒者しかないような廃墟地帯もない・・・

空港にマシンガンをもってパトロールする軍隊もいないし・・・

パトカーに止められてグローボックスを探っても、銃で打たれる心配もない・・

 

日本の国の当たり前が、世界ではそうでないことがたくさんあるよね。

 

今日、この日。
あらためて。
自分の家の庭の木や花を愛でるのと同じように
自分の国も敬いたいと思いました。

 

 

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だってほら、自分の未来に希望が欲しいじゃない?

自分を取りまいているいちばん外側の部分、これが信頼できなかったら、自分のことだって信じ切れないじゃない?

 

だからね、光を灯したい。

わたしの心に、この国に。

 

 

「人生の恵みに感謝する」

いいことを教えましょう。あなたが人生で尊重するものは、価値があがります。
あなたが考え、注目するものは、成長します。

あなたが感謝するものは、価値があがって、さらにありがたく感じられるようになります。

「1つ目標を持てば人生は一変する ロビン・シャーマ著  北澤 和彦訳 海竜社刊」

2018-03-11 | Posted in BLOG, Live 生きるって?No Comments » 

 

「このわたしにできることがたくさんある」という豊かさ

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なんどもさ迷い出てては
結局のところ戻ってくる。

 

工夫や学びは大切だが
気をつけないとすぐに落ちていく。
不足感がベースのところへと

 

 

たとえば本屋に行ったとしよう。

「このままじゃダメだよ、自分を変えよう」
「世の中は大変なことが起きるから、準備しよう」

っていう本であふれかえっているから。

 

 

こんなツイート。

PR関係の仕事が長かったので
よくわかるんだ。

 

「いまのあなたには問題がある」
としなければモノが売れないから、世の中はこぞって洗脳なのだ。

だから「このままで十分です」と立ち止まる人は奇異に見られる。

 

もちろんその精神は売り手側にもはびこる。
駆り立てられるようにして働かない人は
「やる気がない、甘えている」
などの悪い評価がつくのね。

 

わたしが以前勤めていた会社の社長は
「倒れてからが本物だ」と豪語していたし。

実際に倒れて辞めることになったんだけどね♪

 

 

そしてもうひとつ。
すぐに不足感の罠に陥るものとは?

 

それは才能。
セルフイメージと言い換えてもいい。

 

付け足すことで
どうにかしようとしてやしないか?

もしくはすっかり
あきらめていたり。

 

そうではなく

「このわたしにできることがたくさんある」
という事実に気づこう。

 

いまあるものへの感謝こそが
豊かさのことだと思う。

 

 

この世界をどう見るか?

欠乏なのか
それとも
豊かさなのかと
いつも問いかけられているね。

 

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わたしの原点
恩師アラン・コーエンの言葉を紹介します。

 

欠乏と豊かさの距離とは

何十億という人々がこの星のいろいろな都市や田舎に住んでいるように見えるが、実は住むところはたった二箇所しかない。
「スケア・シティ(Scare 恐怖の意味)は恐ろしく、脅威に満ちた場所だ。お金がいつも足りず、物価は高く、それを供給する人々も信頼できない。

スケア・シティの原動力はサバイバルだ。自分の安寧をかけてまで誰かを助けることなどあるのだろうか?今のままでも十分大変なのだ

スケア・シティでは毎時間、ニュース番組や新聞が恐怖におののいている視聴者の眼前に、大惨事や大混乱の見出しを派手に書き立てる。

 

どこかで聞いたことがあるだろう?たった今読んだのは、この星の現在であり、歴史的に何十億もの人々を支配してきたものだ。

そしてこんな場所にも覚えがあるだろう。スケア・シティから少し(ほんの一つの思考分だけ)行ったところには、正反対の世界がある。そこに住む人々は、ずっと続く平和と調和、そしてどこを見ても美しさと善があることへの感謝の心を持っている。
それで彼らのバン(Bun お尻の意味)がいつも踊っているために、この王国はそれにふさわしく、「ア・バン・ダンス(Abundance 豊かさとかけている)」と呼ばれている。

陽気な人々が、ア・バン・ダンスの小道を、昼夜かまわず歩いている。大いなる力が共に歩いてくれていると信じているのだ。

バン・ダンスの踊り手たちは、スケア・シティの人々の意識を支配する善と悪という敵対する力からは、超越して生きている。
彼らは、全宇宙を慈悲深い保護のもとに優しく包む、たった一つの「大いなる愛の力」を認めている。

「人生の答えはいつも私の中にある アラン・コーエン著  牧野・M. 美枝訳 ワニ文庫」より一部抜粋

 

好きなことをし、冷笑され、でも得たものは旦那?(笑)

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好きで綴っていた詩を
初めて手作りのポストカードにしたのは何年前のことだろう。

友だちはとっても喜んで、とっても応援してくれた。

 

しかし冷笑とも言えるくらいの対応をしたのは・・・
長年お付き合いのあった作家や出版関連の諸先輩方だった。

 

「こんなの始めたんですよ」
って飲み会の席にウキウキ出向いた、わたしの心はぺっちゃんこ。

 

わたしの態度も痛かったのでしょう。
まるで売れない弾き語りのミュージシャンが、ギター片手に押しかけて来たみたいで。

(ごめんね、ミュージシャンで。いいたとえが見つからず・・・)

 

うん、そりゃ痛々しいよ。
でもわたしね、だからこそ初めの一歩を応援する側に回ると決めたんだ。
危なっかしく痛々しいその一歩をね。

 

プロデューサーとしてやってきた理由は、こういうことだね。


いまでも街角で演奏しているミュージシャン見ると心の中で必ず言ってる。

「がんばれ、めげるな」って。

(またミュージシャンでごめんね(笑))

 

 

ポストカードはその後ちゃんと印刷するに至り、しばらく配ったりして喜んでいた。
またやりたいなあ。

 

ついしん
その手作りポストカードのおかげでね、旦那をゲットしたのだよ。

詩の朗読をさせてもらう機会があって・・・
その縁で朗読会を開くことになって・・・
そのまた縁で彼と出会った。

「いい詩だなあって思ってた」って♪

 

なので好きなことは、バシバシやろう。

お金にならなくともいい、認められなくてもいい、痛くていいじゃん。
もっといいもの、ほんとうは望んでいたものが手に入るかもよ♪

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そうさ 僕らは

人の才能について関わらせてもらうことの多いわたしですが・・・

 

これにまさる真理はないと
最近ますます思います。

 

ナンバーワンよりもオンリーワン

 

 

その花を咲かせることだけに
いっしょうけんめいになればいい。

 

この歌詞を教えにして説いたところで
たくさんの人の心には響かない。

 

なんて伝わるのでしょう。
感じるのでしょう。
音楽って素晴らしい!

 

 

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小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから 

 

もうすぐひな祭です。
個人的にお祝いと壮行の気持ちをこめて。
この歌を、音楽と教育の新たなる道をゆく友に贈ります。

 

 

2018-03-01 | Posted in BLOG, ポエム&メッセージNo Comments » 

 

マーケティング嫌いな人のためのコピーライティング その1「想いを伝える」

自分のビジネスのコピーライティングが苦手なひとー?

 

はーい♪
わたしです♪

 

(人のはできるんですけどねー自分のはめっちゃダメ)

 

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特に「誰のために?どんな想いで?」を考えるのが、苦手です。
好き勝手やりたいから(笑)

 

 

基本、なにをするのも「自分の歓びのため」
というスタンスでいいのですけれど

でもね、どうせビジネスをするなら
想いを伝えたいじゃないですか?

 

ましてやコピーライティングですもの。
お客さんに語りかけるという原則があります。

 

当たり前だよね。

自分だけがわかる文章を書いても
仕方ないものね。

そういうの自然に出来ている人がうらやましい!

 

 

といいつつ

どうして苦手なのか?
どうしたらいいのか?

がわかったので書いときます。

 

単純な話なのだけれど
お役にたつといいな。

 

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わかりやすくプレゼントのたとえ話にしました♪

 

たとえば・・・
誰かに「お花を贈ろう」と思ったとします。

 

色とりどりの花屋の店頭で
相手の顔を思い浮かべつつ
一生懸命選ぶでしょう。

 

「季節の花を入れたらいいかな?
 今なら桃とか?
 あっちに桃の枝の入ったアレンジメンとがあるな。
 ピンクで可愛らしくていいな。

 でも、あの人ならもっと大人っぽい方がいいかな?
 パープルの薔薇があるから
 シックな色合いでまとめて・・・」

 

 

みたいに!
熱心に選んだとしても・・・

 

 

でもね
もらった相手が
どう思うかって、正直わからないじゃないですか?

その時たまたますごく余裕がなくて、ほっといて枯らしちゃうかもしれないし。

猫が引っ掻いたり(我が家♪)・・・
お子さんがむしっちゃったり・・・
そんなアクシデントも発生するし。

もしかしたらなにか思い出があって
「その花」が嫌いだったりなんて可能性もなくはない。

 

そもそも花を愛でる心境にないってことも、充分考えられるわけですよ。

 

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お菓子だって一緒よね。

 

スイーツをお土産にしようと思い
デパ地下ならデパ地下という限られた選択肢の中で

 

「どれが美味しそうかな?
 どんなの好きだったかな?」

って一生懸命選ぶよね。

 

「へー生クリーム系が流行ってるんだ。
 でもあの方、和菓子好きだったよな。

 じゃ和と洋のコラボ的なやつ?

 でも斬新過ぎかしら?
 定番のが喜ばれるかしら?」

 

なーんて
いろいろと考慮して選んでも

もしかしたらダイエット中かもしれないし。
食欲がなくって、誰かにそのまんまあげちゃうかもしれないし。

 

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そうやって相手のことを考え、想像し、熱心に選んで・・・


喜んでもらえなかったら

「あちゃー」だし
悲しいけれど。

それは「相手のことだ」と、切り離して考えるじゃないですか

 

 

ほんとに喜んだかどうか、見張らないでしょう?

「ちゃんと飾った?ちゃんと食べた?
 証拠写真撮ってフェイスブックに上げてよ!」

とか
言わないでしょう(笑)

もう渡したらそこで終了。

 

 

「喜んでくれたらいいな」
という自分の想いを形にした時点で、
プレゼントする側って満足できるものね。

 

 

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だから
「誰かのために想いを伝える」
のが苦手な人って

 

ほんとは想いはいっぱいあるんだけれど

「受けとってもらえないんじゃないか?」
「誰も喜ばないんじゃないか?」

 

という

「結果ばかりを気にしているから」

もしれないよ。

 

 

だから
プレゼントの感覚を思い出して。

 

喜ばれないかもしれないけれど
それはわたしの領域じゃない。

 

「結果は天に任せよう」
と決めて

想いを書いてみよう。
コピーライティングしてみよう。

 

ほら、これならできそうでしょ?

 

 

魔法のコンパス

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あの人と比べてここがこんなにも足りない!

うんうん、それは地図だよ

宝物のありかを指しているよ

へっこんでるところを発見したなら

でっぱっているところだってあるのだ

そこへと導く魔法のコンパスなのだ

 

 

2018-02-28 | Posted in BLOG, ポエム&メッセージNo Comments » 

 

世界一カンタンな・・愛され系&イケメンにモテる術♪

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愛され系女子なる流行があるが・・・

そんなのたったひとつのヒケツだわよ。

自分を愛してくれる人と関わること。

恋愛はもちろん友情も、仕事上でもできるだけ。

つれない人を振り向かせる尽力を断つべし。

疲弊して自分のこと嫌いになるよ。

それよりわたしっていい感じって思えたら、ほら愛され系。

 

 

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年上がいいとか年下がいいとか

そんなことはどうでもいいのである。

イケメンがよい。

イケメンとはあなたを

「美しく愛らしい女神」

とあがめてくれる紳士のこと。

あなたに魅力を感じない男性はイケメンとは呼ばず

眼中にも入れなくてよろしいのですわ。

 

 

 

 

「マーケティングとかやりたくなーい!」いいじゃん、それで。成功神話から降りるのだ。

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PR関係のお仕事の世界に長年いましたので・・・
マーケティングが苦手な人向けに
「なにか役立てないかなあ」
と思ってこれまでやってきましたが。

最近またわかってしまい
ここにカミングアウトしておきます(笑)

 

マーケティングが苦手な人ではなく・・・
キライな人向けにします。

 

「もうそういうの、いいや」
「めんどい、気乗りしない」
「だって好き勝手にやりたいし」
「成功法則クールじゃないし」
「ヘンテコって最高じゃね?」
「ともかくも、わたしがルールブックだわはは」

 という方に。

 
(わたしがそうだからだよ♪)

 

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お仕事は計画的に、戦略的に♪

でしょう、でしょう。
そこに異論の余地はありません。

マーケティングは必要です、重要です。

 

しかし。
やれないのではなく、やらないのです。

 

だってそうでしょう。
これだけのノウハウが無料で出回っていて。
やってみようと思ったらできるはず。

 

ニガテではなく、キライなのです。

 

キライな上に

そう

やりたくなーーい!!!

 

のです。

いいじゃん、それで。

 

(わたしがそうだからだよ♪)

 

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効果的な行動をとれない自分を笑い

でも、いま、したいことする。

飛び石を踊りながら、飛んでいくかのごとくに。

目の前の、いっぽを選ぶだけ。

わたしがいま、真に歓ぶいっぽだけを見つめて。

そうして成功神話から降りるのだ。

そうして歓びが、広がっていくのだ。

 

(いっしょに、いきましょ♪)

 

 

 

 海岸をぶらぶらしていると、男は儀式舞踊をしているような若い女の子の姿を目に留めた。かがんでは立ち上がり、体を伸ばして、弧を描くように腕を投げ出している。

 近づくと、女の足元には無数のヒトデが散らばっている。どうやら浜辺に打ち上げられたらしく、一匹また一匹と海に投げている。

男はからかうように言った。「砂浜な見渡すかぎり、数キロ先までヒトデで埋め尽くされている。何匹か救ったところで何の意味がある?」

 女は微笑みと共にかがんで立ち上がり、海に向かってヒトデを投げると、穏やかに言った。「この一匹にとって意味があるのは間違いないわ」

 私たちは幼いころから、成し遂げるべき課題、到達すべき目標が目の前にあると思っている。人生が障害物競争のように思えることも幾度なくある。大きな成功を勝ち取るため、それを妨害するものについてたくさんの議論をする。

この話に出てくる男性は、障害のみを見て、無数のヒトデについて話し、若い女性に無駄な行為だと警告した。ヒトデはいかんせん多すぎる、時間は限られている。人も資源も足りない。成果のほどが見えづらい・・・。

 しかし、これは救出活動の「成功」や「失敗」の話ではない。全体の何パーセントが助かった、死んだという話でもない。過去を描写しているのでも、未来を予言しているのでもない。
読んで分かるのは、若い女性が微笑んで穏やかなこと、踊るように動いていること、それだけだ。物事の進みぐ具合に対する、おなじみの評価はどこにもない。人生を貢献の場として、人を貢献するものとして表している。善意ある行動をどれくらいしたのかは関係ない。私が語るべきは、このような話だ。

「人生が変わる発想力  人の可能性を伸ばし、自分の夢を叶える12の方法」
ロザモンド・ストーン・ザンダー, ベンジャミン・ザンダー,著  村井智之訳  パンローリング刊

著者はニューイングランド音楽院講師、同音楽院ユースフィルハーモニック管弦楽団指揮者を経て、79年にボストンフィルハーモニック管弦楽団を立ち上げ、現在も活躍中だ。

その経験から得たリーダーシップ、コーチングは、97年の世界経済フォーラム(ダボス会議)の先進国首脳陣に向けた講演で、人の可能性を引き出す独自の発想として話題を呼んだ。

本書はセラピストのロザモンド(ロズ)と、ベンジャミン(ベン)が「思い込みを抜け出し、発想を転換し、新しい視点を得る12の手法」を発見したエピソードを実例とともに紹介する。