踊るように歩いていた女の子。「上手に」の先にないもの。
秋の公園
目の前を楽しげに歩く女の子が転びそうになり
ベビーカーにつかまって立ちあがる。
それでもウフフと可愛い笑顔。
その女の子の耳元に
「上手に歩いてって言ったでしょ」と
必死に覆いかぶさるように躾けるママ。
そうか、あんなに小さな頃から
「上手に」
と教えられるもんなんだと
しみじみ後ろから見ていた。
「自由に楽しく」
といった感覚は
大人になる前に
失われ切るのだなあと。
でもたいがいの両親がそうだよね。
良かれと思って教えるんだ。
ベビーカーには弟らしき赤ちゃん。
女の子は3歳くらい。
うん。
連れて歩くだけで骨が折れるし
転びでもしたら大騒ぎだもんね。
そう理解しつつも
踊るようにウキウキと歩いていた
女の子の姿が忘れられなかった。
「ころんだら、じぶんで、かんがえる」
その時間をもし持てたら。
「たのしく、でもころんだら痛いから、ころばないように」
という自分らしい歩き方を開発するんだろうな。
それは「上手に」というお手本の先には見出せぬもの。
そう考えると
見守ることも深い愛情なんだなあと思った。
立派な家よりも
すごい教育よりもなによりも。
できるだけ手出しせずに
信じて見守る。
その子らしい可能性の花が咲くようにと。
そう
もう転ばぬ先の杖はいらないんだ。
「上手に」の先にある
「自由に、自分らしく」が欲しいんだ。
たとえ失敗しても。
女の子の足どりを目に焼きつけながら
つぶやいた秋の日でした。
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