砂上の楼閣から神の平安へ
こんなにもはかないものに
すべてをゆだねているのかと
今朝あらためて愕然として
街の中で立ちつくしました。
きっかけは
うちの猫らのことなのですけどね。
2匹とも12歳になり
だんだんといろいろな症状が出始めました。
今朝久しぶりにポメちゃんの
ちょっと苦しそうな様子に
もう泣いてしまった。
こんなにも愛くるしいうちの子たちに
これ以上なにかあったら
もう耐えられないと。
神を恨みました。
テオちゃんは体質的に弱い。
ポメちゃんも生まれつき心臓が奇形。
というハンデがあって
でも幸いなことに12歳になるまで
ほぼ元気に甘えん坊で
ぽっちゃりと暮らしていました♪
それでも
だんだんとここ数年で症状が出始めます。
どちらの子にも
根本的な治療法がないので
治癒力が上がるようにと
あらゆることを試していて。
わたしはいつか治るのでは?
いや、もう治ったのでは?
という勝手な期待を抱いてしまうようです。
そして治っていないことに
またショックを受ける。
両親を早くに亡くし
ペットもたくさん見送ったダーリンは
淡々と言います。
「年をとったら身体はだんだんと壊れていくんだよ。
それは自然なことなんだよ」と。
「そんなことわかってら!」
小さな私が心の中でさけんでいます。
命は永遠ではないし
ましてや
それぞれの命は
この世を去る時を決めているのだろうし
長かろうが短かろうが
リスペクトしかない。
なんてこと
頭でいくらわかっていても。
それでも
それでも
ね・・・
クリスマスで華やぐ街の中で
わたしは気が付きました。
カラダなんてもろいものだと。
人間もね。
病気や怪我ですぐに壊れてしまうような
そんな繊細なカラダの中で
生きているのだと。
そもそもこのはかないものに
すべてを賭けることがおかしいのだと
思い知らされました。
いずれ滅びるのです。
カラダも、なにもかも、この惑星でさえも。
すべてを慈しめるのは
軸足があるから、それは・・・・
エゴとは何でどのように作用するかがわかれば、答えは簡単だ。
あなたが自分を同一化していた形、自己意識を与えてくれた形が崩壊したり奪い去られたりすると、エゴも崩壊する。
エゴとは形との同一化だからだ。もはや同一化する対象が何もなくなったとき、あなたはどうなるか?
まわりの形が死に絶えた、あるいは死にかけたとき、あなたの「大いなる存在」の感覚「私は在る(I AM)」という意識は形の束縛から解放される。物質に囚われていたスピリットが自由になる。
あなたは形のないあまねく存在、あらゆる形や同一化に先立つ「大いなる存在」という真のアイデンティティの核心に気づく。
自分を何らかの対象に同一化する意識ではなく、意識そのものとしての自分というアイデンティティに気づく。
これが神の平安である。あなたという存在の究極の真実とは、私はこれであるとかあれであるとかではなくて、「私は在る」なのだ。エックハルト・トール著 「ニュー・アース」より
新月のお茶会 「ほんとうに好きなことで暮らしたい」
☆11月29日(火) 14:00~16:00
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