今日は神を恨む日。
「なんで!どうして!
命をたっくさん、たっくさん救って来た〇〇が
なんでこんな目に合わなきゃならないの」
朝5時に届いた知らせ。
友人のお子さんの訃報。
胸をつかまれたような気持ちで
一日を過ごして
夕方にダーリンと話して
やっと泣けた。
口から飛び出したのは
やるせない怒りだった。
そうか、こんな風に思っているんだ。
口にして初めてわかったよ。
海の向こうの友人は
心から尊敬する女性で
出会えたことが奇跡のようで。
仕事柄でもプライベートでも
命と真摯に向き合い
実際に数限りなくレスキューし
その貴重な体験を聞かせてもらうことが楽しみで
命というものの奇跡を
思いださせてもらっていた。
だからね
なんで?なんでなのよ?
なぜ彼女にこんな体験をさせるのよ?
ひどいよ。
そう、今日は神を恨む日にします。
神様に思いっきり甘えるんだ。
神様ってわたしにとっては
宗教ではなく
大いなるなにか。
この世界の愛なのかな。
知っているよ
命は失われないことも。
ただ還っていくだけだということも。
友人の彼女は体験からも
わたしなんかよりもっと、気づいている。
でもね、いまは甘える。
これまでも神に思いっきりぶつかり
ほんとうの正直の胸のつかえをささげた後
静かな安堵や気づきがやってきた。
友人は大丈夫なんだと
わたしの中に信頼を取り戻し
静かに見守れるようになるまで
ぶつかるんだ。
「神との対話」が言っているように
神は決して罰したりしないから。
わたしたちがなにをしようとも、しなくとも。
だから安心して胸を借りたらいい。
わたしはいつも (always) どこの道でも (all ways)あなたを愛している。あなたがわたしに愛されない道 (way) などありえない。
だが あなたも罰するのでしょう?愛をこめて罰するんだ。 心に愛をいだきつつ、そして そうしなければならないことを悲しみつつ永遠の苦しみを与えるのでしょう
いや わたしは決して悲しまない。「しなければならない」ことなどないから。誰がわたしに「しなければならない」ことをさせるのかな?
わたしは決して罰しない。あなたがたはこの世でもべつの世でも、やめようと思うまでは自分を罰するという選択をするかもしれない。だが わたしは罰しない。わたしは傷つくことも被害を受けることもないからだ。わたしの一部としてのあなたも、傷つくことも被害を受けることもない。
神との対話③
ニール・ドナルド・ウォルシュ 吉田利子訳
サンマーク出版