ホーキング博士で真っ先に思い出す話。厳しい限界を受け入れる奇跡。
ホーキング博士さようなら。
あなたは世界に影響を与えた偉大なる人。
でもわたし
功績よりもなによりも
ホーキング博士で真っ先に思い出す、思い出したいのが、この話。
ご紹介します。
限界を超える
「ニュー・アース」より一部抜粋
エックハルト・トール著
吉田利子訳
サンマーク出版刊
形は限界を意味する。私たちが地上に生を受けたのは、その限界を経験するためばかりではなく、意識のなかで限界を乗り越えて成長するためでもある。
外的なレベルで乗り越えられる限界もあるが、そのまま抱えて生きることを学ぶしかない限界も人生にはある。そのような限界は内的にしか乗り越えることができない。
誰でも遅かれ早かれそのような限界にぶつかるだろう。そういう限界にぶつかると、人はエゴイスティックな反応の罠に落ちるか(これは激しい不幸を意味する)、あるがままを無条件で受け入れることで内的に乗り越えて優位に立つ。
それが私たちに与えられた課題なのだ。あるがままを意識のなかで受け入れると、人生の垂直軸の次元、深さの次元が開かれる。そしてその垂直軸の次元から何か、無限の価値をもつ何か、そういうことがなければ埋もれたままだったはずの何かがこの世に現れる。
厳しい限界を受け入れた人々のなかには、ヒーラーやスピリチュアルな指導者になる人もいる。また人間の苦しみを減らし、この世に創造的な贈り物をもたらすために、自分を捨てて努力する人もいる。
1970年代後半、私は毎日のように一人、二人の友人と、当時学んでいたケンブリッジ大学大学院のカフェテリアで昼食をとっていた。そのときに近くのテーブルに車椅子の男性がいるのを見かけることがあった。男性は、いつも三、四人の人たちと一緒だった。
あるとき、同じテーブルで向かい合わせになったことがあり、ついその男性をしげしげと見て、ひどく驚いた。彼はほぼ全身が麻痺しているらしかった。
身体には力が入らず、首もがっくりと前に垂れている。付き添いの人たちの一人が食べ物を口に運んでやるのだが、その大半は別の付き添いが男性のあごの下に差し出す小さな皿にこぼれ落ちる。ときおり車椅子の男性がうめき声のようなものを発すると、誰かがその口元に耳を近づけ、なんと彼の言わんとしていることを、他の人に伝えるのである。
そのあと私は友人に、車椅子の男性が何者か知っているかと尋ねた。「もちろん知っているさ」と彼は答えた。「数学の教授でね、付き添っているのは教え子の院生だよ。身体じゅうで麻痺が進行する運動神経の病気にかかっているんだ。医者は五年もてばいいほうだと言ったらしい。あれ以上つらい運命ってないだろうな。」
数週間後、カフェテリアから出ようとして、その男性が入ってくるのと出会った。電動車椅子を通すためにドアを押さえている私と彼の目が合った。彼の目があまりにも澄んでいるのに、私はびっくりした。そこには不幸のかけらもなかった。私はすぐに、彼は抵抗を完全に放棄していると感じた。彼はありのままをすべて受け入れている。
それから何年もたって、キオスクで新聞を買っているとき、その男性が大手の国際ニュース雑誌の表紙になっているのを見てまたビックリした。彼、スティーヴン・ホーキングは、まだ生きていたばかりでなく、世界で最も有名な理論物理学者になっていたのである。
記事の中には、何年も前に彼の目を見て私が感じたことを裏付ける見事な一文があった。自分の人生について尋ねられて、彼は(音声合成装置の助けを借りて)こう答えたという。
「これ以上、何を望めるだろう」。
「これ以上、何を望めるだろう」
ホーキング博士のこの生き様。言葉が出ないね。
今日ね、公園でお散歩中の黒柴の老犬と出会ったんです。
ゆっくりゆっくりとよろけながら歩く後ろ姿。
ああ、と胸が痛みました。
静かに追い越そうとしたその時、向こうからやってきた元気なメスのワンコ。
よろよろしていた黒柴君はしっかりと立ち止まり、りりしくそちらを向きました。
通りすがりに黒い瞳をのぞきこんでみたら、彼は自分を憐れんでいるような様子などみじんも感じられなかった。
どんなによろけていようと、艶々だった毛もぼさぼさになろうと、なにとも比べずうらやまず、ただ散歩を楽しんでいたのです。
可哀想なんて失礼だった。
そうわかって、安心して黒柴君の長生きと健康を心の中で祈りつつ立ち去りました。
エックハルトさんがのぞいたホーキング博士の瞳も、きっとこんな風だったのでしょうね。
「これ以上、何を望めるだろう」
そんな日々を積み重ねたいですね。