悲しいことのあった日のコーヒー、なんてあったかいんだろ。
悲しいことのあった日のコーヒー、なんてあったかいんだろ。お買い物ついでにかけてもらう一言は、なんてありがたいんだろ。
こうしてやっと思い出す。
すれ違う人たちの心。元気でなんの心配もない人たちばかりじゃないって。悲しみを堪えている人や病を抱えている人も少なからずいるって。
— 月野 るぴな (@Lupina_) 2017年2月24日
昨日の悲しいお知らせは
新しい気づきをもらたしてくれた。
このツイートのように。
ぼうっとしたまま
わたしのいつもの書斎(スタバ)にゆき
カウンターに座ったら
両隣が若い人だったのね。
生きていたら
これくらいの年なのかなあ
なんて想像したら
両隣の知らない若人が愛おしくなって
左の女の子は
一口飲むたんびに
「はあー」って
のけぞっているし。
(わたしなんぞは
ビールかなにかでもなければ
そんなに美味しそうにできないぞ)
右の男の子は
テーブルにいくつかのガジェットを並べて
一生懸命ゲームしてた。
両隣の子たちに
「うんうん、良かったね。
若くて元気でよかったよ。
いっぱい愉しんでおくれ♪」
気づいたらそんな言葉を
心の中でかけてたよ。
なんでもないことが
こんなにも愛おしい。
夕暮れの商店街。
春を待つまだ寒い日。
昨日と変わらぬ景色が
一変していた。
また薄れてしまうであろう
この感覚だけれど
忘れたくないと思った。
急いでうちに帰って
ポメリの小麦のような色の背中に
顔をうずめた。
にゃーにゃー泣くテオちゃんを
ぎゅうっと抱っこした。
いまここにある命。
そして
商店街でお買いものをしてる
表面的には普通に見える人でも
実はなにかがあって
抱えきれない悲しみを
もっているのかもしれないのだなと。
そういう優しさを持っていたいって思った。