世界の中心は自分。そこからの見晴らしのいい景色
では明日!と言いながら
ぜんぜん書けなかったのは
自分が中心から思いっきりはずれる出来事が
勃発したからなのですが。。。
あーきつかった。
ま、その話はひとまずおいておいて。
の続きです。
なにが真逆かというと
まわりの人や世の中と
調和をはかりたいと思えばこそ
客観的な見方がだいじ。
そう思ってきたのですが
どうやら違うらしい。
仕事や人間関係が
うまくいかないときのことを思い出してみて。
★
これね
自分の中で
「どうしたいか」
がバシッと決まっていないときなのよ。
なんとなく
現在の状況がこうだから
あの人はこういう人だから
等々の外側の条件枠に合わせて
自分がどうするかを決めているのね。
たとえば収入の話としてみると
いま何歳で・・
こんな経験しかなくて・・・
不況だし・・・
もらえても、こんなもんだろう。
みたいなね。
現実的という
枠に収めようとしてしまう。
★
でもそうじゃないのよ。
まず自分が世界の中心に立ち
というか、立っていることを想い出し
(それ以外の立ち位置ないからね。忘れているだけ)
わたしらしい
あり方に立ち返ってみて
どういう収入にピンとくるのか。
正直にハートの声を聴く。
現実的に考えた時よりも
多いかもしれないし
むしろ少ないかも。
叶うかどうかや
現在の状況がどうかのまえに
まずそこ大事。
魂ではなく
(そんなのいつでも還れるんだから)
人間として生きて
自分のハートの声を聴いていたいのよ。
★
じゃあ周りはまるで無視していいかって?
そんなことはなく。
自分の中心からの見晴らしが
いちばんいいはずだから
周囲の状況も必然的に感じとれるのよね。
しかも越境しない。
世界の中心である
自分にだけ責任を持って
自分以外のものを変えようと
奮闘しないということ。
★
目に見えている現実は現象界だから。
自分(原因)を合わせようとする方が
右往左往しちゃうでしょ。
とかいうメッセージもたったいま聞こえてきたのですが
そういうムツカシイお話は
悟り系の方々におまかせしまっす。
↓↓↓↓↓↓
なにしろ収入いっぱいのが嬉しいという
超現世的なわたくしですし。
にゃはは。
ダーリンとハンバーガーを喰らう。の図。