ジャッジメントの有用性!
ココロがほどげる文章と
「ウッ」と息の詰まる文章があるなあと。
思ったりしているこの頃です。
執筆中だからなのだけど
人の文章がとっても気になるのね。
感じるポイントは
書き方でもなければ、口調でもない。
書いてある中身ですらない。
その人がなにかつくっている
ムリしてる
背伸びしている
そう感じる時に
息が詰まるようです。
自分のことは思いっきりさておきね♪
この「ウッ」という感覚は
わたしだけのジャッジメントです。
ジャッジメントはどれもこれも
絶対の正義などなく、善悪も正誤もない。
個人の見解ですから。
それに同意する時に、良いとか正解などと名付けるだけ。
ジャッジメントをやめるメリットについては語りきれない♪
「自分を愛する」もここからだし、「パートナーシップ」にも必須だし、「好きなことを仕事にする」にも、超絶役に立つスキル。
でもでもなによりもぶっ飛びなのが「マトリックス現実」を体感すること。これを目覚めというのだろうなあ。— 月野 るぴな (@Lupina_) 2017年9月12日
こんな風に書いていますけども
ジャッジメントをやめるのではなく
「離れる」と表現したいわ。
そのメリットは語りつくせないし・・・
「マトリックス現実」の体感については
もっと語りたいし・・・
でも今日は逆にジャッジメントの有用性を言いたいの。
ジャッジメントをないこと(感じないフリ)にしていくとなにが起きるか。
それはスピリチュアル的にいっちゃった状態だわよ。
「なんでもいーい」
「ほげーっとしあわせー」
みたいなね。
(らしいよ)
(ほんとうかい?)
でもそれじゃあ、なんのために肉体持ったの?
って思いませんこと?奥様。
ジャッジメントが個性につながってるのに、もったいない。
人に振りかざしたり
自分を窮屈にしばるために使うと
面倒なジャッジですが
「これ好き」「あれしよ」という
自分の感性として
コンパスとして
使って欲しいと思うのよ。
「ジャッジってイケナイこと。否定しちゃダメ。あの人にそんなこと思っちゃダメよーダメダメ(古い)」
っていう人ほどコンパスがぶっ壊れておる。
というジャッジメント話でございましたWW
でも役に立ててね♪