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そこがわたしのパラダイス
数々の幸福を見逃して生きてきたなと
しみじみ振り返る
このごろです。
インスピレーション力を上げるのはとてもカンタン。
インスピレーション力を上げるのはとてもカンタン。使えばいい。
閃いたもの小さなことをできるだけ叶える。行動する。そのうちにミラクル的なことが起こり始めるから。
— 月野 るぴな (@Lupina_) 2017年4月28日
宇宙の中心は自分だから。人の為ではなく自分のために生きることが理にかなっていてバランスする。中心軸にいるのが結局は世のため人のため。
— 月野 るぴな (@Lupina_) 2017年4月28日
安く提供するのが思いやりだというカン違い。
それ自分だけじゃなく相手の豊かさも見くびっている。— 月野 るぴな (@Lupina_) 2017年4月28日
人のことアレコレ世話焼いてたら自分の人生見なくていいし。一時のストレス解消にはなるけど、すぐ不満は戻ってくるから。自分の人生の面倒見た方が楽しいよね。
— 月野 るぴな (@Lupina_) 2017年4月28日
あとね、その現実が嫌だと言いつつ、自分の正しさを強化してくれる例ばかりを探してきて「ほらね」言うのもうやめよ。欲しい現実に近づく事例の方をよく見て、もてはやしたらいいやん。
— 月野 るぴな (@Lupina_) 2017年4月28日
1人から全てもらうのはムリ。分散=自立。
前にも書いたのですが↓
自立とは依存先をふやすこと
http://lulu-lupina.com/2016/09/depend/
1人から全てもらおうとするから問題なのよね。
特にパートナーに求める。
癒しや理解や
洒落た会話やドキドキ感や
包容力や経済力や
ファッションセンスや感性や
エトセトラ。
無理だよね!
でもさ、いろんな人からもらえば良いの。
他の男、女、動物、植物、プロ(カウンセラー等)
エトセトラ。
分散してもらったらいい。
これぞ正しい自立。
自立とは、ひとりで頑張ることでなく。
分散した依存なんだよ。
そして自立とはもちろん
我慢して求めないことでもないのだ。
☆
ってわかっていても最近
ダーリンに求めて得られず
うごおーって苦しんでるあたくしは
親友に求めた。
↑昼飲みからの
↑お洒落なお店へと移動
THE RIGOLETTO 4/28 渋谷にグランドオープン
お互いのパートナー話はそうそうに終わって
すぐに仕事の話になったわたしたち。
どんだけ仕事好きなんじゃい!
パチリ。
なんか優雅に撮ろうと言い出してチャレンジ。
優雅??
優雅??????!!!
ぐちぐち言うはずが
仕事に燃える時間となった昨日でございましたとさ♪
素直に甘えた効果だろうね♪
さてそんな親友みかりんがバースデーに向けて
こんな素敵な企画を。
おススメです。
【 バースデーとは、生まれた人の世界の始まり。
存在の喜びを思い出し、分かち合う日にさせてください 】
去年も大好評いただいた
サンライズ・オーシャンヒーリング。
今年も日の出とともに行ないます♪◇ サンライズ・オーシャンヒーリング ◇ セレブレーションデー
http://ameblo.jp/mika-smile-healing/entry-12277371160.html
太陽のエネルギーは、脳や身体を活性化させてくれます。
脳にはまだまだ眠っている箇所があり、
太陽の光と波動がそれを目覚めさせてくれます。また内臓が活性化したり、
石灰化している部分が溶けて蘇ったりもするようです。
意識の目覚めを強力にサポートしてくれます。波の音は子守唄
母なる海に抱かれて
海から昇る日の出とともに
あなたの存在そのものへと
祝福をお届けします。http://ameblo.jp/mika-smile-healing/entry-12277371160.html
プレゼンス、またまた続き 「いま嵐にある人へ」
この目覚めと密接に関わっているのは幸福感です。
今まで私たちは「幸福」とは
活動、物質、心のあり方、人間関係にあると考えていました。
ここでいう「幸福」とはいつも笑っていたり
微笑んでいなくてはならないというものではありません。
それは平安であり、満たされた感覚であり
どんな欠乏感もない状態のことです。
しかし客観的な体験の中に幸福を見出そうという動機が
一夜にして消えるわけではありません。
なぜなら私たちは、今までずっと活動や人間関係の中に
「幸福」を探すということを習慣にしてきたからです。
その習慣が一夜にして終わるということはありませんが
徐々に終わっていきます。
「目覚め前後の人間関係」Before and After ~ ルパート・スパイラ ~
☆
たったいまの東京は突然の嵐がおさまりつつあり
空も明るくなったかな?
プレゼンスのお話の続きをまたまた書きたくなり
こうして書いています。
☆
目覚めのプロセスが始まった方って
嵐の中にいるようなものだと思うのですよ。
平和な時と、思考に飲みこまれる時が
繰り返しやってきてアップ&ダウン。
しかもこの周期がだんだんと
短くなってくるのね。
だからいつもタービュランスにいるようなもの。
いやーん、もう。泣。
という方のための何かになれば・・
というよりいっしょにあきらめようぜい!
このまま行こうぜい!というお誘いです(笑)
☆
さっそくわたしの事例です。
昨日は
愛についてプレゼンスの記事など書いたりして
ほっこりと時間を過ごしていたのですが
夜には一変。
お食事最中にダーリンと
言い争いが起きました。
「今後のふたりの生活について」
というちょっとディープな話題だったので
恐れと投影いっぱいの物語が速攻スタート
(わたしのアタマの中でね♪)
なんとかケンカにまでは
発展せずに済んだのですが
(けしかけ役のわたしがかろうじて黙ったのでww)
もんもんとしたままベッドに入り
もちろんよく眠れるわけもなく
繰り返し考えていました。
「いかにダーリンがヒドいか」
「このまんまじゃ不幸になるはず」
という2つの思考を飴玉のようにコロコロと
アタマの中で転がし続け
「こんなこともあった」
「あんなこともあるかも」
もんもんもんもん。
おーいプレゼンスはどこへいったんだああーーい??
ときおりハッとするのですが
「面白くない」というループからは抜けられない。
そして朝!
ダーリンがちょこっと外出したときに
バイロン・ケイティさんの本をがばっとつかみ
読みました。
(ワークすらやる気になれなかったというアホぶり)
読んだだけですが
「ふと、ダーリンはわたしに大事なこと
思いださせてくれているのではないか?」
そう気が付きました。
将来の条件なんかじゃない
二人はただ一緒にいるだけでいいんじゃなかったけ?
いつもダーリンそういっていたよね?
なんかちょっとジーンとしたところで
帰ってきたダーリン。
あれ?なんか違う。
晴れやかな顔してる。
こちらが変わるとパートナーも、の典型でした。
そこからはいつものラブラブバカップルを取り戻し
平常運行に戻りました♪
こんな風にして
ああいい気分♪と思っても
またどっかんと飲み込まれる。
気づきが安定するまでは
この嵐が続くのでしょう。
そしてきっとこれが
次元上昇なのでしょう。
一人ひとりの事象が違うから
同じに見えないけれど
同様にもがいている人が
いまこの地上にたくさんいるではないかと
想像しています。
だいじょうぶ、一人じゃない。
いっしょにもがきましょうや♪
いずれどちらも意味はなくなる。
自分のことダメって思う必要はないし、
素晴らしいって考える必要も実はない。
自分に対する考えそのものがいらない。
でもあえて素晴らしいことにするのは
揺り戻すため。
いずれどちらも意味はなくなり
ただ閃いたことをするだけという
プレゼンスに戻る。
愛も同様。
愛されていないが幻想なら、
愛されているも幻想だと。
だんだん気づいてしまう。
愛は動詞ではなく、感じるもの。
そこにあるもの。
人類にとって最も重要なことは「プレゼンス」を見出すこと
プレゼンスは頭の中のおしゃべりがあるということに気づく意識の次元から現れます。
その気づきは思考を超えたものです。
人類が自分自身の内にあるこの意識の次元を見出すことは必要以上に重要なことです。
プレゼンスの現れる人類の思考の変容は高尚なことではなく、人類が生き残るために必要不可欠のなっているのです。
~ 人類にとって最も重要なことは「プレゼンス」を見出すこと
エックハルト・トール ~
大好きなエックハルトおじさんの(笑)映像を
久々に紹介したくなりました。
戦争を止めたかったら
環境を守りたかったら
「プレゼンス」を見出すこと。
しかもそれをするのは、わたし。
☆
「プレゼンス」を意識できるようになったのは
バイロン・ケイティさんのワークのおかげです。
ワークとは↓
バイロン・ケイティの「ワーク」(The Work)は、世界のあらゆる苦しみを引き起こしている考えを突き止め、問いを投げかける方法です。自分自身や世界との間に平和を見つける方法なのです。オープンマインドさえあれば、年齢や健康状態、教育歴を問わず、誰でもワークを行うことができます。
http://thework.com/sites/thework/nihongo/
ケイティは、30代でひどいうつ状態になりました。その後、10年かけてうつはひどくなり、ほぼ2年、ベッドから 離れることもままならず、自殺衝動に囚われていました。ところがある日の朝、絶望の淵に立っていた彼女は、人生を変えるような気づきを得ます。
この気づきが「ワーク」です。
彼女はワークを発見したのではなく
ワークの方がわたしを見つけたと書いています。
☆
わたしはこの5年くらいの間に
何百回どころじゃなくやりました。
それだけ苦しんでいたからね。
ときどき離れるけれど
いまでもやっていて今日も3回♪
もはや歯磨きくらいに日常化しています。
プレゼンスを取り戻すのは
自分のため以外のなにものでもなく。
説明するより体感してほしいのですが
わたしにとっては
安心で気持ちのいいホームに
戻ってくるようなものです。
ここから離れて
思考グルグルになると
(以前はこれが日常の状態で気づいていなかった)
まず苦しいですし
人間関係や仕事などについての自分の行動に
黒雲が立ち込めるようなもの。
そしてわかります。
わたしを怖がらせ傷つけるのは
あの人ではなく、出来事でもなく
自分のアタマの中の思考なのだと。
「バイロン・ケイティのワークは、 地球にとって大きな祝福です。苦しみの根本原因は、私たちが、頭の中をたえず駆け巡っている考えや「ストーリー」と一体化してしまうことにあります。ワークは、レーザーのごとく鋭い剣となってそうした幻想を切り裂き、私たちの永遠の本質に気づかせてくれます。そして、自然体のあなたから、喜びや平和、愛があふれてくるのです。」
エックハルト・トール
母の日だからって 愛だの感謝だの?
母の日が終わった。
母の日だからって
愛だの感謝だの
言わなくってもいい。
そう発言しても
なーんの問題もなく
むしろ
「正直さいこー」
くらい言ってもらえる
仲間に囲まれているんだよ
いつの間にかここまで来たんだよー
嬉しいんだよー!!
ってゆうべダーリンに
酔っぱらって熱く語ってた。
ダーリンは穏やかに聴いて
「るぴながそうだからだよ」って
きゃっ
(オノロケ)
☆
うちは母親二人。
ダーリンのお母さんは
ずーっと前にもういない。
デコボコ家族同士で。
だからこそ
争ったりもするけれど
当たり前の家族像なるものは
互いに持っていない。
そもそも
「感謝が大切」とか言い出すダーリンだったら
ぜったい結婚していないね♪
にゃは♪
人の数だけ
人間模様がある。
愛だの感謝だのの前に
リスペクトがある。
その人としての生きざまに。
ダーリンのお母さんにも。
うちの2人の母親にも。
子どもの立場としては
どうなの?と感じることもあるが
ひとりの女性としての
数奇な生き方には尊敬しかない。
☆
だから
母の日だから
感謝しなきゃなんて
思う必要もないし。
癒しのタイミングは
人それぞれ。
遅いも早いもない。
最適なときになにかが起こる。
そもそも
「はい、これで親とのあれこれ完了!」
なんて人生にない。
のんびり味わうのみ。
だから自分が楽にいてくださいな。
そんなことを
言いたくて書いたよ♪
ほっといても良い方へ向かうために。
最近「飲みーティング」が多いです♪
昨日も楽しかった。
てへ☆
てっぺん自由が丘↑
さてあらためて、お客さんと話していて感じたこと。
「お金が欲しい!お金が足りない!!」
と言いつつ、悩みはぜーんぜんそこじゃなっかったりする。
で、言行一致しないから、苦しいのね。
たとえば
自分らしくやりたいのか?
認められたいのか?
お金が欲しいのか。 ?
いちばんを正直にするだけでも、現実はガガっと動く。
「えーっと自分らしくのんびりやりたい、
でも家族に反対されるの困るし、
お金もちゃんと欲しいんだよねー」
みたいなのはNGで。
心底、最優先で願っていることは、なにか?
あとのことは後回しにする腹をくくったときに動くんだよ。
だって実は、心の奥底ではそれしか願っていなかったりするのね。
だからほんとうの願い
ほんとうに気にしていること。
そこを知ることが第一歩。
ちゃんと願いに、ちゃんと恐れにピュアになったら
ほっといても良い方へ向かうのね。
帆船みたいなものね♪
ウエサク満月に思い出す。仕事が広がるたったひとつの理由。
ダンスが上手でないのに
新潟までダンスを教えに行っていた。
そこは不登校などの子たちのための学校で
親子いっしょに笑いながら踊るクラスを作った。
会社経営したこともないのに
スタートアップや相談役を任された。
実務はまったくしないのに
なにかあると呼ばれて語り合った。
最近では文章が上手でないのに
自分らしく書く文章レッスンを開いた。
なにを伝えたいのか、あなたは誰なのか?
はっきりさせる過程で熱く盛り上がった。
★
今宵はウエサクの満月。
2006年の5月
京都鞍馬寺でのウエサク祭に参加したことを
思いだしている。
満月の瞑想会をそこから60回もやることになったのも
たまたま。
まるで瞑想的じゃないのに
↑11年前!若い!
↑エハンも来てた
もっといえばそもそも
独立希望だったわけでもないのに
13年前に会社を辞めてから
紹介された仕事をなんとなくやって
なりゆき上、流れ上
ぼちぼちやっていくという
なんだかわたしの人生
ずっとそんな感じ。
いろいろと声をかけてもらえた
理由はたったひとつ。
上手ではなく
楽しそうだったんだと思うよ。
きっとね。
日曜夜の孤独&月曜朝の憂鬱の・・
日曜日の夜の孤独も
月曜日の朝の憂鬱も
いつの間にか消えていた。
結婚したせい?
会社やめたせい?
ううん。
違うよ。
孤独は相変わらずここにあるし
憂鬱も相変わらず襲ってくる
★
昨日は渋谷で夜の最終回の
『ワイルド・スピード ICE BREAK』を観てきゃっほきゃっほして
男子観客率超高い中での
女子トイレで耳にした会話が
いまも残っている。
「ちょーやだ、あした月曜、でももう仕事辞めるんだ」
メイク直し中の若い子二人。
昔を思いだして
ああ、そうそう
わたしもいつも、ぼやいてたっけな。
そしてあの頃はあの頃で
楽しかったんだなって。
★
孤独が、憂鬱が
不安が、自信のなさが
挫折が、失敗が
彼氏のせいでも
仕事のせいでも
ないってわかってくるのって
それこそちょーやだ。
でも真実の扉は否応なく開いてゆく。
★
それがひそやかな
楽しみにもなるころには
若かった時代からは
もう戻れないくらい
遠く離れていることにも
気づいてしまう。
ゆるゆると
花弁は開いてゆくのだ。
それを成長と言うのかもしれないね。