よく思われたがり屋大作戦♪
今日ね、しみじみ思ったんですよ。
「よく思われよう」
「なにか自分に得なことが起きるようにしよう」
といったことを一切考えなければ
どこに出かけようが
誰と会おうが
何をしようが
緊張する由もないと。
さっさと必要なことをするはずだと。
この話を思い出しましたよ。
手に汗握った禅僧
ある禅僧が著名な貴族の葬儀を執り行うことになった。
参列する王侯貴族や夫人たちを出迎えているとき、彼は自分の両手が汗ばんでいるのに気づいた。翌日、彼は弟子たちを呼び集め、自分はまだ真の師たり得ないと告白した。
乞食だろうと王様だろうと、すべての人間に対して同じ姿勢で臨むということができていない。自分はまだ社会的な役割と観念的なアイデンティティを通じて人を見ており、すべての人間の同一性を見ていない。それから彼は寺を去って、別の師のもとで修行に入った。そして八年後、悟りを開いて弟子たちのもとへ戻ってきたという。
「ニュー・アース」 エックハルト・トール著 吉田利子訳 サンマーク出版より
この部分ふーん、まあそうだよね、くらいだったんですけどね。
今日初めてしみじみ入ってきました。
自分がなかなか行動できない理由としてね
怖がり、折れやすいを挙げていましたけれど
それって
ものすごーく、人からよく思われたいってことよね、と。
んで、さらに思った!
「よく思われよう」
「わたしに良いことが起きてほしい」
という欲を捨てられる気配は
いまのところみじんもございません。
なんの分野だろうと、すごい人と知り合いになったら自慢するだろうし♪
なんだったら「いろいろ教えてー」って尻尾をふり愛想もふりまくだろうしW
イケメンの前では緊張するし♪
ただそのことにできるだけ気づいていようと思います。
だってエゴエゴしくなり過ぎて、なんにも行動出来くなるからね♪
で、対策はこれよ↓
怖がり、ビビり屋って言わずに「よく思われたがり屋」と呼ぶことにしたよ。自分のこと。
このバカバカしさに気づいて、好きなことどんどんできるようにね♪— 月野 るぴな (@Lupina_) 2017年12月19日
自分を愛する意味での
怖がり、折れやすいなどの特質を否定せずにいることは大切。
だが隠れ蓑にしちゃ、どんどん動けなくなる。
だから気づきの機会を増やそうって思って
「よく思われたがり屋」認定戦法。
なかなかいい感じで機能しているよ。
とは言いつつ
これからもよく思われたがり屋として
手に汗をかき、
あらぬ心配をし
ビクビクしたり
突然偉そうになったりと
人間くさーく生きてゆく予定でございますことよ。
おほほほ。