旅立ちから半年。ダーリンとシェア会の計画中。
テオちゃんが空に帰ってから、もう半年になるんだわ。
あれは木曜の深夜、金曜日になってすぐのことでした。
だからね、木曜日になると思いだしちゃうんだよね。
木曜日じゃなくっても思い出すんだけれどね。
そして最近気づいたの。
テオちゃんを思い出している時のわたしって、子供返りしてるって(笑)
キリキリとした悲しみの時期はようやく過ぎて今は
「あの姿が家にいないのは変だ」
「おかしい、気にくわない」(こんな現実が)
という気分になっているの。
思い通りにならないことに子供のように駄々をこねたいのだわ。
そのかたいっぽうで
「せんないこと」
と受け入れるしなやかさも、どんどん育ってきています。
これはほんとうにありがたいことで。
いろいろな場面でさっと相手の立場を理解したり、手放したりできることが増えました。
といってももともとがしがみつき屋だからね。
大したことはないっす。
ま、だからこそわたしにはすごいことなのね。
バージョンアップるぴな!
ほらね↓
わたしも最期はなにもかも置いて投げ出して逝くのだ。
冷たく青く澄んだ空の下では、それんなことがとても嬉しく感じる。
何故だろう、死を受け止めるとこんなにも優しい気持ちになれる。
人生にあるもの、起こることに間違いなどないと、手放すのはなんて気持ちのいいことなのだろう。
— 月野 るぴな (@Lupina_) 2017年12月7日
引き寄せの法則って好きだし機能すると思うけど。どうにもならないもの、絶対に手に入らないものがあるのは福音。落ち葉を踏みながら、ふと。 愛しのテオちゃんは、なにをどうあっても帰ってこないもの。 こんな風に人の及ばぬことがあるから、畏敬の念を持って生きられる。ひれ伏して、宇宙の美に。 — 月野 るぴな (@Lupina_) 2017年12月7日
生死はどうにもできない。
それは人間の力のおよばぬこと。
コントロールできないことが福音だと感じとれた。
もっともっと壮大なる流れのなかに
抱かれて生きているのだという
実感を深めつつあるのが
なによりも嬉しい。
そうはいっても↓
そうはいっても、昨日またテオちゃんのことで、ポロポロ泣きながら飲んだ。ダーリンによしよししてもらいながら。この人間臭さがあっての、手放しだ。
そう、やっぱりやろう。うちこの子の思い出、お話会。ペットを亡くした人たちが集まって、ただ順番に語る会。人には甘えられる場が必要だ。
— 月野 るぴな (@Lupina_) 2017年12月7日
ということでダーリンとやります。
シェア会的なものを。
よろしくね♪