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PrayForTheWorld
がーーん。
楽しかった昨日のお話を書こうと思っていたけれど。
飛び込んできたニースでのテロ事件。
とっさに思った。
これは変わらなくてはならないときなのだと。
こんな時にも
悪には屈しない、戦いには負けないという。
強さを競うような政治家の発言に
違和感しかない。
強くある。
もうその方向性はどうなの?
不安なときにね、強くいようっていう発言
確かに気持ちいいよ。
自分の不安を消してくれそうだよ。
しかも「悪」をやっつけてくれそうだよ。
でも違うやり方もある。
悲しんで泣く。
もう嫌だ無理だと叫ぶ。
同じことの繰り返しにはうんざりだと言う。
(どの国でも)悲劇は見たくないと当然のように思う。
武力解決なんていらないと
争いでは解決しないと
きれいごとを、理想を、主張しまくろう。
弱さという、強さを胸に抱き
今日は祈ります。
In solidarity with the victims in Nice I will wear the colours of the French flag from tonight. pic.twitter.com/TR3yBOtvr8
— La tour Eiffel (@LaTourEiffel) 2016年7月15日
後出しジャンケンのオンナ
法人さん向けプロデュース業務も
あちこちで区切りを迎え
「次に何やるかなあ」
と半日悩んで
ダーリンに話を聞いてもらっていたら
「LOVE 伝道師」
という不思議な肩書が閃いて
あっという間に次の方向性が決まったというお話。
以前フェイスブックには書きましたが。
じゃあ、LOVE 伝道師っていったいぜんたいそれはなに???
という基本方針や具体的な活動でさえも
いまだ決まらず。
ひと月ほどぐずぐずして
やっとただいま作成中。
「ちゃんと中身を詰めてからやろうよ」
と計画性を考慮していたのは
ずいぶんと昔のお話です。
いまは自分でも
「なんでそうなるのかわからん」
という段階で決めちゃってます。
ザッツ、インスピレーション。
なにか偉そうに↑
といいつつ、こんなんでいいのか?
とたびたび己を疑うのでございますが。
「先にポンッとイメージが浮かんで、理由等は後付け」
と、わたしの悪友、最大手某広告代理店のエースクリエイター
も同じこと言ってるから。
きっと間違いないよ、たぶん。。。(*⌒∇⌒*)
こうやって直感で動いていくって
最初は勇気のいるかもしれない。
確信を持ちたかったり
誰かにOKしてもらいたかったら
不安に負けてしまう。
いや、わたしだってすぐ弱気になるよ。
「出来ない」だの「ダメだ」など
すぐピーピー言うよ。
でもいつの間にかこれ以外の決断の方法が
見当たらなくなっちゃったんだよね。
で、LOVE伝道師、閃いたのでお茶会をします。
7月の末日、31日日曜日、18時からに決まりました。
内容もやっぱり後出しでして
「不思議な力に守られる」
をテーマにしようかなーと。
世の中に伝えたいことがあるから
こういう人たちの役に立ちたいから
何かをする。
それが立派な王道だと思っているあなた。
やりたいことってこれ?かも?
みたいに、なんとなく内側から出てきた。
そんなレベルでも十分いいんですよ。
「これにしよ!」
って決めたら詳細な中身は、後から湧いてきますから。
せーのっ!ってやってから手の内が決まるという。。。
後出しジャンケンな女がお送りました♪
ハーブファスティングという素晴らしいメソッドもそうやって届けられたので
そのお話はまた後日♪
しあわせの葉っぱ
なにもかも奪われるような
どん底の体験をして
人はようやっと気づいてゆく
しあわせって
なにかよいことが起きるときだけの
ものではないと
ほめられたり
みとめられたり
手にいれられたり
するときだけのものではないと
そしてね
木の葉をみているとわかるんだよ
いつのときもしあわせなんだんって
春には
母なる大木から芽吹き
笑いかけるような陽ざしのしたに
やわらかなうすみどり色は
ぐんぐんと成長し
夏には
じょうぶになった濃い緑を誇るようにして
さやさやと風に歌い
美しく咲いた花を守るように
寄りそう
実をつける秋の頃には
いつの間にか黒ずみ乾いて欠ける
でもそんなときの葉っぱも
高い空のした輝いている
やがて冷たい雲がおおう冬の気配
ずっといっしょだった木に別れをつげるとき
葉っぱはひとり地に落ちてゆく
それでもしあわせ
そのときだけ葉っぱは鳥になる
あらがうこともなく
風に舞うほんのひとときを楽しむ
地に落ちた葉っぱは
くすぐるように虫が横切ったり
冷たい霜に覆われたり
そんな時間も静かに
しあわせ
ゆっくりとかたちを失い
大いなるいのちの循環へと戻ってゆく
いつのときも
しあわせ
どんな一瞬であっても
ただこの一瞬を
ひと粒の時間を
宝物のようにつないでゆくことを
しあわせというのであろうと
葉っぱを見ていると
教わるんだよ
「PLAY LIVE PARTY」へ。音楽があるから生きて来られた。
友だちの会社の20周年記念パーティ
『PLAY LIVE PARTY』に行ってきました。
音楽ひとすじ。
最近リニューアルしたサイト
コトラボART
www.cotolabo-art.jp/
彼女の歴史の全容を知る由もないのですが
変化の真っ最中に悩んでいる姿を
垣間見ることが出来ました。
これまで通りの安全な方向と
心が導く可能性にとまどう彼女。
それはいま考えると
わたしにとっては恵みでした。
どれだけインスパイアされ、教わったかわかりません。
彼女の名前は
めぐみ
まさに!だ。
そんなめぐちゃんのパーティのテーマはらせん。
空間装飾はこれまたお世話になった苗さん三姉妹が担当。
UNDER THE TREE
http://www.under-the-tree.com/
モノトーンが基調。
うずや音符のモチーフが散りばめられたお洒落すぎる会場。
伝えたいことにこだわることの大事さを知ります。
そして心がグッとなったのは
360度音楽空間。
時間ごとに順繰りに場所を変え、演奏者を変え、生演奏が始まります。
聞き惚れたり、踊ったり、笑ったり。
いっしょに唄ったり。
ここいいて、わかりました。
音楽があったらから
人類はここまで生きて来られたんだなって。
すべての気持ちを音にして。
抑えきれない歓喜も
やるせない失望も
みんな音にして表現してきた。
言葉の前に生まれた、音楽というもの。
そしてめぐちゃんの20年が
周りの人を大事にし、自分の思いを大事にして
どれだけ豊かだったかは
この会場にいればわかります。
さあ、わたしはどうだろう?
どれだけ人を、想いを大事にしているかな?
自然と思い至った時間でした。
そしてこのような仲間に出会えたのは
すごいコンサルタント小田 真嘉さんの勉強会に通ったおかげなのでした☆
小田さんありがとう~♪
http://odamasayoshi.net/
あっしー、みずきちゃんオトボケ3美女!が久々に揃った↑
LOVE&JOY 愛について
自分を表現する=愛を表現する
ために生まれてきた
愛とは世間のイメージではなく
まるであなたのサイズ
頭のてっぺんから
足のつま先まで
あなたが愛
あなたが
楽しいと思うこと
喜ぶこと
創造したいこと
それが愛だ
神や宇宙があるとしたら
それ以外なんにも
望んでいないと思う
あなたの喜びは
ときに誰かの喜びと
重なるときがあるだろう
それが恋人になったり
結婚になったり
するということ
友人になったり
仕事仲間になったり
するということ
そして自分の喜びを
育てる中で
ほかのいのちの喜びにも
目を見張るようになるだろう
花や鳥や
動物や虫や
風や海や
森や空や
畏敬の念をもって
ともに喜ぶ
この世界のいのち
こそがミラクル
いのちこそが愛
ダーリンは「視えるんです♪」その2
やっと続きです♪
前回↓
ダーリンは「視えるんです♪」
http://lulu-lupina.com/2016/07/spiritual-vision/
はしのんさんのブログ写真を見たダーリンは
「あっこの子だー」と。
はしのんさんに似てないようで違うと思っていたけれど、お父さん似なのかなあ。
そう語りつつも、でも違っていたら悪いからと真剣な顔のダーリン。
わたしもなんとも言えないです。
でもその後に起きたさらに不思議な出来事は
贈り物のように思えて仕方ないのです。
お話会が終わって
お腹すいたーと向かった先は
おいしいハンバーガー屋さん♪
ダーリンがググって決めたお初の店です。
ぶらぶら歩いた結果いつの間にか
ダーリンの生まれた家の近辺へ。
家族を次々と見送った彼なので
昔話はめったにしません。
「せっかくだから行ってみようよ」
と提案して生まれた家の場所探しが始まりました。
都心のど真ん中ですから
ビルが建ったりで様相は変わっていました。
でもなんとか辿り着いて感慨深かった。
愛する人のゆかりある場所にご挨拶が出来た。
これはわたしの勝手な想いなのですが
もうこの世にいなくともダーリンのご両親との絆を感じていたい。
そしてなんとか今に繋いでいけたらいいなあって、思ってました。
そうしたらね!!!
なななんと!!
お話会の4日後!
ダーリンの従弟という女性から連絡がありました。
Facebookを通じて、わたしに。
「るぴなさんのダーリンは○○でしょうか?
小さい時から弟のように思っていた○○ちゃんのことがずっと気になっておりました」
と。
感激でした。
辛いこと、いっぱいいっぱいあったろうけれど。
こんな風に愛されてもいたんだね、ダーリン。
ご縁はこうして再びつながり
明日は何十年ぶりの従弟会だそうです。
お話会から始まったとしか思えないミラクル。
ありがとうございます。
そしてこの流れは実は京都までわざわざ行ったおかげなのね。
まりあちゃん、ありがとうございます。
うん、もう起きることが起きるし♪
自分が想像もしていなかったことが起きる♪
だからミラクル♪♪
「大切な人を亡くした方へのお話し会」に行ってのシリーズ
その1
良いセミナーとは?「よかったーキラキラ」じゃないよ
http://lulu-lupina.com/2016/07/transformation/その2
サバイバーですが、なにか?またひとつ楽になったのは、お話会のおかげです。
http://lulu-lupina.com/2016/07/survive/その3
引き続き、アダルトチルドレンですが、なにか?
http://lulu-lupina.com/2016/07/ac/その4
ダーリンは「視えるんです♪」
http://lulu-lupina.com/2016/07/spiritual-vision/
投票に行った。選挙に不安を投影していた。
投票に行ってきました!
あらためて選挙について、個人的な想いを書きます。
いろんな人がいろんな情報を発信していて
面白く興味深く読んでいました。
でもそれに振り回されている自分もいました。
胸に手を当ててじーっと感じてみたらね。
不満や焦りやストレスやら
そうしたものを選挙に政治に投影してたって
気がついちゃった!
自分を変えるより世の中の方を変えたくなっていたんだよね。
ふう。
でもね、こうも思うの。
ストレスや抑圧感って
変化を推進するための一番の原動力になる。
なにもかも解放できて
始終気持ちいい状態にいたら
何も変化していかない。
出口が見つからないような閉塞感こそが
変わってゆくためにいま必要なのかも。
だからストレスがあるから変えようではなく
変わるタイミングだからストレスがかかっているのでは?と。
時間軸を逆にとらえるかのようだけれど。
大きな流れに乗るってこういうこと?
と思い始めているこの頃。
たとえばね
満月にサンゴが一斉に産卵するように。
サンゴたちは産もうとせずとも
卵も産まれて来ようとがんばらなくても
ときが満ちるようにしてそのタイミングが来る。
産卵直前サンゴのカラダに入ってみたら
わけもわからずぎゅうぎゅう押されているように感じると思うんだ。
個人も社会も切り替わり、入れ替わりのタイミング。
地球規模、超意識で
「いまは変化しようぜー」
って決めているのかもしれないね。
「なんとなく・・」で選んではいけない?選挙の前なので書いておきたいことがある。
「わかっている」
ということを
「上手に主張できる能力」
と混同してやしないか?
遠慮はいらないよ。
あなたの「なんとなく」を大事にしたらいい
その「なんとなく」がうまいこと説明できなくても
「なんとなく」を理解してもらえなくても
あなたが自信を失う必要はないんだよ。
わたしはかつて経営者のゴーストライターをしていたこともあり
主張をまとめるのは得意です。
インタビューで語っていないことも
「こう言いたいのだろう」
と予測してカッコよくまとめていたので
とても喜ばれていました。
いまも同様、クライアントさんと話していると
「わかっているのに説明が下手」
そんな人がたくさんいます。
なのでその「なんとなく」をカタチにするお手伝いを
するわけです。
一緒にまとめていくと
「世のため人のためにすごいことを考えていたんだね」
っていつもなるんです。
「なんとなく」がテキトーだった。
なんてことはまずないんです。
そもそも賢さとは知識の量ではないよね。
智恵なんだ。
それに論理的に選んでいる人だって実は
感情に支配されているのだからさ。
もうひとつ
理想を語ると脳内お花畑と批判される件ね。
わたしはね、いまの政治経済システムは変わったらいいと思っている。
経済成長のための戦争とか、もう無理。
飢えもいらない。
子供が死んでいくなど
個人的にもう見たくない。
人間である以上、揉め事はなくならないと思う。
でもお金のために、人が死ななくてもいい。
同じように感じている政治家も世界中に多いと思う。
だからこそ今の延長線上では解決しないと思っている。
まったく新しい未来がやってくるよう
どんどん理想を語っても良いではないか。
100年先を見据えてもいいではないか。
でね、未来のビジョンを描くの得意な人と
そこまでの道筋を具体的に落とし込める人が
協力していったらいいじゃない。
そこで揉めてないでさ。
うちなんか
わたしはお花畑でダーリンは現実派だよ。
ときどき大ゲンカになったり、役割が入れ替わったりするけどね。
でも二人でなんとかギリギリで(笑)やっていってる。
内なる直感を信じて行動しよう。
ダーリンは「視えるんです♪」
さあ、今日もお話会の感想を書いちゃうよ。
お話会の最中から不思議なことがありました。
ダーリンがね
「ハッ」と横を向くんですよ。
たびたび。
休み時間に聞いたのね。
どうしたの?って
「脇腹をなんども突っつかれた。
最初るぴなかと思ったけれど違った」
と怪訝な顔を。
ま、毎度のことなんでその場では
「ふーん」って流しましたけどね。
お話会の最後の瞑想タイムで、その理由がわかりました。
「大切な人、もう一度会いたい人を思い浮かべてください」
という誘導瞑想だったのですが
ダーリンは知らない男の子が出てきたそう。
グリーン地に肩のところが黄色か白のTシャツを着ていて
「ニッカー」と満面の笑みで
脇をつんつんってされたそう!
「誰だろうね?はしのんさんの息子さんだったりしてね」
なんて語り合いながら会場を後にしたのですが。
今度はわたしが歩きながら
「お?」って振り返った。
髪の毛をね、パンってはたかれたみたいなの。
「歩行者か街路樹の枝にぶつかったんだな」
と、とっさに考えって振り返るとなーんにもない。
がらーん。
あれれ?
さっきの男の子かい?
いたずらっ子やのう。
これまた不思議ちゃんのワタクシも
気にせずに歩き続けました。
そしてそのあとお茶をしながら
ダーリンの「視えるんです問題(?)」
について語り合いました。
↑レシートが777だった!ていうだけんですけどね
彼は昔っからそんな体験をしている。
しかも漫画から本、映画に至るまで霊の世界の内容が大好き。
だのに
「いまでも半分信じたくて、半分信じられない」
って悩んでいる。
まあ、悩んどきなさい。
わたくしキンキンに冷たいアイスコーヒーが脳に達したようで
急にいいこと言い出しました。
「ねーねー目に見えないものってさー
怖く見える存在も、楽しい存在も実は一緒なんじゃない?
見る人のフィルターで
ある人は天使だ、妖精だって感じるし
ある人はお化けだーーって
そう感じてるんじゃない?」
と。
実はわたし、さっきのお話会の誘導瞑想で
我が家にやってきたまぶしい光の存在を感じていました。
あれは2008年の夏でした。
(その前後は不思議なこと続きでした。どんな体験だったはそのうちブログに書きますねー)
あの時はただただ
「怖い怖いヤバイヤバイ」
この一心でした。
熱いまぶしい光で
「これは幽霊などではない」
とすぐに感じていたのにやっぱりコワくって。
「こ~な~い~で~」
となってたのね。
だから
ビックリするような出来事や説明のつかないもの=怖ろしいもの
と自動変換して、頭の中でおっかないイメージを付け加えちゃう人も多いのでは?
って思いましたよ。
わたしは自分が体験した不思議なできごとについては
「神さまのいたずら」
それぐらいに考えています。
事実がどうかや信じる信じないには興味がありません。
だっていたずらだもの。
そしてあったかいサプライズギフトだと思うんですよ。
さてさて、お話会後に起きたミラクルはまだまだ続きます。
はしのんさんのブログを見て「あっ!」と叫んだダーリン。
明日をお楽しみに☆
↑「視えるんです」なダーリン♪マッチョなのに視えるんだな?(カンケイないか・・)
「大切な人を亡くした方へのお話し会」に行ってのシリーズ
その1
良いセミナーとは?「よかったーキラキラ」じゃないよ
http://lulu-lupina.com/2016/07/transformation/その2
サバイバーですが、なにか?またひとつ楽になったのは、お話会のおかげです。
http://lulu-lupina.com/2016/07/survive/その3
引き続き、アダルトチルドレンですが、なにか?
http://lulu-lupina.com/2016/07/ac/
引き続き、アダルトチルドレンですが、なにか?
さあ、今日も
ダークな投稿書いちゃうよ。
↓昨日の続きで、 わたしはアダルトでチルドレンだよ♪ってお話。
サバイバーですが、なにか?またひとつ楽になったのは、お話会のおかげです。
http://lulu-lupina.com/2016/07/survive/
七夕?かんけーねーっす。
今宵ダーリンとデートはするけどにゃ☆☆
ぢんさんはこう言っていて↓
僕たちの記憶は700%ウソですし
http://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-11317420953.html
まりあちゃんの初級でも
コバ先生の上級でも
記憶は700%ウソだって教わって。
とても納得。
さもありなん。
でもいまのわたしはこだわりたいのだ。
過去の記憶に。
わたしの記憶している記憶に。
なぜってね・・・
「へいきへいき~♪だいじょうぶ~♪」
OK問題ないっていうところに逃げるのが得意なのよ。
ほんとは寂しかったり苦しかったり
助けてほしかったりすることを
隠すのよ。
もっというと・・・
「いろんなことあったけれど
素敵な学びを得て
いまではハッピーです(ニッコリ)」
みたいな!
これ得意中の得意だし。
さらに常日頃から
「毎日は学びで糧です(ニッコリ)」
なんだかかなり嘘くさいって自分で気づいちゃったもんねー。
まあ、学びで糧になってるのは事実。
おかげで今があるのは間違いないんだけどさ。
一方でこう思っている自分がいることも
「大好きなわが子を亡くした3人のおはなし会」
で気づいたのね。
- 過去に何があっても、今は立ち直っていないといけない。
- なぜなら、メンタルを病んでいる(ように見える)のは恥ずかしい。
いやいやいや。
どうよ?
病んでちゃいけないのかい?
そんなことないよね。
サバイバーだ、アダルトチルドレンだって
レッテル貼るのは意味がないことも多々あるし
悩みを助長してしまうこともあるでしょうけれど。
でもいまはあえて
貼るのだ。
ベタッとレッテルを。
そしてそんな自分を
優しくそうっと包んであげたいのだ。
「病んでいても、悩んでいてもいいよ」
そんな気持が芽生えたのは
お話会のおかげなんだな。
飲むと調子に乗りますが、なにか?